映画「洲崎パラダイス 赤信号」の原作、
芝木好子 洲崎パラダイス (集英社文庫) を読んでいます。
赤線のあった洲崎を舞台にしたもので、
洲崎の様々な女性たちを描いた短編集になっています。
そのうちの最初にあるのが、
映画になっている部分、タイトルもそのまま洲崎パラダイス。
映画がかなり原作に沿ってつくられていることが分かります。
ところで、
原作には映画になかった会話のなかに、
あるものがでてくることに気が付きました。
映画では轟夕起子がやっていた飲み屋千草のおかみさん、
新珠三千代がやった蔦江、そして医療器具商で飲み屋のお客の落合、
この3人の会話のなかにです。
(ちなみに落合は映画では秋葉原の羽振りのいい電気屋という設定)
ちょっと長いですが、引いてみると以下のとおり。


「こないだまであたしも隅田川のそばにいたんですよ。
川って大好きさ、せいせいする。
一度でいいから川上から川下まで舟で行ってみたかった」
と蔦枝は言った。
「そんなことはわけない。ポンポン蒸気に乗りさえすれば、
川上は千住大橋から、川下はお台場まで出られる」
「へえ、ポンポン蒸気が今でもありますか」
おかみさんが驚くのを、逆に落合はあきれてみせた。
「でも、今でもあんなものに乗る人があるかと思って。
私の子供の時分は浅草へゆくのにいつもあれでした。
永代橋の下の舟着場で待っていると、
艀がゆらゆら揺れましたっけ。
あの蒸気船がポッポッポッと発動機を唸らしてくるのは、
いいものでしたよ」
「案外速力もあったからね」
「船室といっても板敷のベンチで、そこに押し合ってかけると、
きまって物売りが口上を始めましたっけ」
「そうそう、暦を幾冊も取り揃えて、一組十銭位で売ったものだ。
絵本もあった」
落合も興がった。
「薬もありましたし、金太郎飴」
おかみさんは飴の中から金太郎の顔が出てくる極彩色の飴の説明をしたが、
蔦江は見たこともなかった。
その飴を売るのがちょん髷の飴屋だといいかけて、
おかみさんは渋い顔をした。
「それほど昔の話でもないのよ、大正の終りから昭和にかけてのことですよ」


そう、ここにも思いがけず川蒸気のことが記されているのを発見しました。
しかも川蒸気が物売りとともに記憶されているのも、
森茉莉幸田文の文章と全く同じ。
大正から昭和初期にかけて、
東京に生きた人々にとって、
川蒸気が共通の記憶になっていたことが分かります。
芝木好子が洲崎パラダイスを書いたのは昭和29から30年にかけて。
この時代に、川蒸気は新しい世代が知らないもの
知っている人々にとっては懐かしいものになっていったことが分かります。
そして、現在は洲崎パラダイス界隈の水路も埋め立てられ、
映画にあった風情も失われています。
東京で川蒸気を懐かしく思える人は現在どのくらいいるのでしょうか。