先日あるところでいろいろな本をあさっていると、
広島郷土資料館発行の
『近代の「兵食」と宇品陸軍糧秣支廠』という
とてもオタッキーな図録を発見。
糧秣廠とは「りょうまつしょう」と読み、
糧は兵士の食べる食料、秣は軍馬の飼料、廠は工場や役所をさすとのこと。
つまり、この図録は陸軍において兵食の調達や補給、研究などを行った
糧秣廠の支廠の一つ、宇品糧秣支廠を取り上げたものというということになります。
ちなみに、広島郷土資料館はこの宇品糧秣支廠の缶詰工場だった煉瓦造りの建物を改修したもの。
これまたユニークです。
内容はこれまで軍事史研究において兵食が取り上げられてこなかったため、
まじめな論考なども掲載されていますが、
多く掲載されている写真がなかなか面白い。
そのなかでも驚いたのが、重焼麺麭の写真が…
重焼麺麭は以前こちらhttp://d.hatena.ne.jp/rekisinojyubako/20060204
に書きましたが、
まさか現物の写真があるとは思いませんでした。
その解説には、重焼麺麭には「じゅうしょうめんぽう」とルビがあります。
私これまで重焼麺麭は「おもやきめんぽう」と読むと思ってました。
そして以下解説には、「日露戦争当時に用いられたもの。
「重焼」が「重傷」を連想させることから、乾麺麭(かんめんぽう)と改称された」
と記されています。
よくぞ日露戦争当時のものが残っていました。
図録には記されていませんが、どういう形で残っていたのでしょうか。
私には旧宇品糧秣支廠だった倉庫に、
重焼麺麭が山積みされている姿が思い浮かびます。