最後の江戸名所図絵は、
昨日書いた矢場が出ていたため。
寛永期の江戸を描いたとされる
江戸名所図絵に矢場が描かれているということは、
この娯楽はかなり昔からあったもののようです。
「やばい」ところ−矢場はゲームセンターのはじまり
のタイトルのもと、次のように記されています。


…(略)…
盛り場で必ず目にする庶民の遊興施設として、
江戸時代には矢場と呼ばれるものがたくさん設けられ、
それは『江戸名所図絵』の中にも登場している。
楊弓場・結改場とも呼んだこの種の遊技場は、
浅草寺神田明神など名だたる寺社の境内、
さらには繁華な市街地で営業し、
腕試しに名のりをあげる男たちが少なくなかった。
矢場には客寄せのため、
矢取り女という名の看板娘が置かれた。
…(略)…
ところが、彼女たちは水茶屋の看板娘などと同じく、
実質的には私娼として客をとったため、
矢場は岡場所同然の私娼窟であった。
…(略)…


宇和島藩士三浦義信の場合は、
ゲームセンターとして矢場を楽しんだものと思いますが…
江戸時代の矢場は、
それだけでなくちょっとヤバイところだったみたいです。