昨日、獅子文六ちんちん電車 (河出文庫)が書かれた頃、
東京の古い地名が失われていったことを書きましたが、
私も宇和島藩士三浦家文書を読んでいると、
その地名がどこなのか、とまどうことがしばしばありました。
その都度調べてみなければ、
その町がどんな雰囲気の町だったかまでは
なかなかつかめません。
例えば、参勤交代で江戸に在府している
三浦義信の日記の文化14年10月4日の条。
とても短い記述ですが、次のように記されています。


下宿より他行。
借馬に乗る。
神明へ参詣し、末広にて土弓射る。
日蔭町で刀の目貫、旗に軍扇などを購入する。


この神明。
位置関係から考えると、芝の神明様と思われます。
神明様に参詣して、
それから門前にあった末広というお店で、
義信は土弓で遊んでいます。
ところで、
この神明様門前の明治頃の様子を
文六先生は次のように記しています。


明治の頃は、料理屋、待合の他に、
〝矢場〟という安い遊び場があって、
小さな弓を引いて遊ぶのだが、
それは表面で、接待女が売春をしたらしい。
中学生の頃、その前を通って、
何か空恐ろしい空気を感じた。


どうです?
土弓で遊ぶと小さな弓をひいて遊ぶ、
何か共通するような…
文六先生の文章から、
神明様門前の賑やかな、
それでいて少し隠微な感じもつかめます。


義信はそれから日蔭町にも言って、
装身具などを買っていますが、
この日蔭町について文六先生は、
「古着屋の町として有名だった」と記しています。
三浦家の江戸日記はいずれも簡潔なものですが、
江戸のそれぞれの町の性格を熟知していると、
いろいろと行間が読めてきそうです。
文六先生の文章は
明治頃の様子を語っているので、
今後江戸名所図絵やら切絵図やら
同時代の史料を身の回りにおいて
江戸日記を読む必要がありそうです。