家に帰ってからは、
終盤にさしかかった
都筑道夫さんの推理作家の出来るまで (下巻)を読み進めます。
先日、この本について
戦前戦後の東京の描写が細かいと書きましたが、
そのことに関連して
都筑さんは自らの小説作法が定まった作品
やぶにらみの時計 (中公文庫 A 60)について次のように記しています。


アウトラインがきまって、
書きはじめると、
私の筆はやたらに細部にこだわった。
大まかな小説がきらいなせいで、
ミニチュアの工芸品のような、
手の込んだ小説を書きたかったのだが、
あまり瑣末に走りすぎているのではないか、
という心配もあった。


細部にこだわった小説。
それが都筑さんの小説の魅力の一つなのかもしれません。
また、町の細部を記述するにあたり、
自分の記憶を総動員するほか、
分からないことについては、
かなり調べに調べぬいて書いている形跡があります。
近い過去を書くことの難しさを書いた
「レトロ屋さん」の項では、
浅草を舞台にしたある小説の導入部の粗い記述で、
そのから先を読み進むことができなくなったとあります。
そして、自らも同じような失敗をおかしたとして、
長谷川利行の昭和7年の
「地下鉄ストア」をいう絵を取り上げています。
それは壁面が大きな時計になったビルが、
街角に建っている絵で、
ある評論家が地下鉄スタアを浅草雷門にあったと書いていたのを、
地下鉄ストアが上野の山下と神田の須田町にあったことを思い出し、
森銑三の随筆をもとに神田須田町だと書いたのが誤り。
後に一枚の写真を発見。
その写真によって
絵が上野の山下の地下鉄ストアを描いたものであったことが分かったというもの。
失敗の過程の話しであるが、
一つのことに実に手間暇かけて調べて書いていることが分かります。
この細部にこだわり手間暇かけて調べて書くということは、
歴史を研究する人間の作法としても通用しそうです。
それにしても、
昭和を生きて体験している人はまだしも、
私のように昭和の最初の40年間は全く知らない人間が
その歴史を書くということには不安を感じます。