先日宇和島藩士三浦家文書から、
江戸時代の武士の
子どもや孫への愛情がいかに強かったのかということを
書き記しましたが、
そのことに関連して一冊の本を思い出しました。
その本は
大田素子さんの
江戸の親子 父親が子どもを育てた時代。

江戸の親子―父親が子どもを育てた時代 (中公新書)

江戸の親子―父親が子どもを育てた時代 (中公新書)

この本の主人公は
土佐藩の20石余りの下級武士楠瀬大枝(くすのせおおえ)。
大枝は34歳の文化6(1809)年から天保6(1835)年まで、
『燧袋』(ひうちぶくろ)という日記を付けています。
この日記には藩の重要な布達や人事、
歌会や詩画会の記録などいろいろなことが記されているようですが、
家族や親族についての記事もあるようです。
大田さんの本はその部分の記事をもとに
妻との離婚や再婚、子どもの病や死を経験して、
夫として父親として自己形成していく姿が描き出されています。


大枝の夫としての不幸は最初の妻と別れていることですが、
7人のうち2人の子どもを疱瘡で亡くすという
父親としても不幸に見まわれています。
そのうち、自ら「老衰晩年の子」と記した、
七人目にしてようやく授かった長男銀次郎の死は
大枝に大きなダメージを与えたのでないかと思われます。
大枝は銀次郎を追悼する「竹馬のはなむけ」という冊子を編んでいますが、
その文末の歌。
道しらぬ よもつらひ坂 竹馬に のりてやひとり こえんとすらん
幼くしてたった一人で黄泉の国に旅立つ銀次郎への哀惜がにじみでています。
子どものために一冊の本をつくりたむけること。
そのことに父親が子どもへ注ぐ深い愛情が感じられます。