一の重です。
今日は午前中に宇和島に出張。
午後からは仕事のチームで会議。
明日から3連休で、
その後すぐに1泊2日の出張で職場を離れるため、
同僚にいろいろな仕事の引継も行いました。
そのため少し残業。


それでは
明和9年3月に突然宇和島藩から屋敷の割り替えを命じられた三浦家。
当時の当主三浦義陳が紙面に書き付けた愚痴の紹介。
最終回です。


ただ小屋のようなものを建てるだけでも、
いろいろ借金をしてようやくできあがりました。
その借金の返済があるので、
引き続き藩に御奉公できるかどうかおぼつかないところ、
このように思いがけなく屋敷を囲う費用が必要になるとは。
心では理解しようと思っています。
火事に逢ったことからはじまり、
それから屋敷の割り替えにいたり、
藩を恨むものでなく、他人を恨むものでもなく、
不幸な時がたまたまやってきただけと思うしか仕方ありません。
また、一昨年からは気分すぐれず、
病気に苦しみ難儀していたので、
今度のことは一層心身を悩ませています。
こんなことになって、
心ある人はどうぞわたしのことを憐れんでください。


老齢になっての火事、
そして屋敷の割り替えによる思わぬ出費。
義陳の心はしくしく痛みます。
藩を恨みに思わないと書いていますが、
江戸の武家社会はタテマエ社会。
こういうことを書くこと自体、
恨みに思う気持ちが胸の奥底に渦巻いていたのでは?
義陳は三浦家の中興の祖と言われている人物で、
優秀な彼は70石から150石まで藩から加増されていますが、
家計の慢性的な赤字や二度の火事で悩み多き人生でした。