昨日は甲州街道のオワイ(下肥)の話しを書きましたが、
オワイを運んだのは大八車だけではありませんでした。
むしろ水路が発達した江戸東郊では
葛西船という下肥運搬船が使われました。
以下の話しは
加藤貴編 大江戸 歴史の風景

大江戸歴史の風景

大江戸歴史の風景

の江戸近郊の蔬菜生活と下肥から箇条書き。


・葛西船は長さ二丈八尺(約8.5m)、幅七〜八尺(2.1〜2.4m)。
 船底に荷物を積載し、下肥積載量は50〜70荷。
・江戸の武家屋敷や町屋から下肥を得る。下掃除場所は1年契約が多い。
 前金を支払って下掃除をする。
・葛西船に載せられた下肥は水路をたどり江戸北郊、東郊の農村に運ばれる。
足立郡佐野新田の佐野家の場合、内神田、外神田の下掃除を行い、
 居村と近隣を中心にしながら、中川流域や荒川流域の農民に広く下肥を販売していた。


以上は江戸後期の江戸東郊の下肥流通の様子。
江戸からは下肥、近郊農村からは蔬菜と循環していたことになります。
甲州街道は昭和初期にオワイがまだ運ばれていたようですが、
葛西船はいつごろまで続いたのでしょうか。
ところで、
この本に登場する足立郡佐野新田の佐野家文書は
足立区の博物館に収蔵されています。
わたしはこの博物館で
古文書整理のアルバイトをしたことがあります。
その日々を懐かしく思い出しました。