宇和島にいる隠居の義伯とその妻が連名で、
江戸の義陳に出した寛延4年3月23日付の手紙の続き。


又左衛門殿がおっしゃるには、
家族がみんな一緒にここで暮らすのがいいと思っているとのこと。
ありがたいことです。
そのため長屋のうち、
4畳程をさらにくださるとも言ってくれています。
このように言っていただいているので、
しばらく又左衛門殿のところで暮らすのがいいと思います。
親子、夫婦、子どもが残らず一緒にいるので、
いろいろ話し合ってうまく暮らすことができます。


火事で一時分六の家に身を寄せていた義伯とその妻は
又左衛門の家に移っています。
又左衛門の屋敷の長屋を借りて、
義伯夫婦、義陳の妻、そして3人の子どもが揃った
暮らしが再び始まります。
義陳が帰ってくることに備えて、
長屋のさらに4畳分が提供されていますが、
かなり窮屈な暮らしだったことでしょう。
なお、家族が身を寄せた又左衛門とは徳弘又左衛門のこと。
義陳の妻お幸の実家で、三浦家にとって最も頼りになる親戚です。