さて、
寛延4年2月1日夜の宇和島大火で、
家が焼けてしまった三浦家。
寛延4年3月21日に
義伯の妻が息子の義陳にあてた手紙からは、
さしあたっての住む場所として
ある提案がされていたことが分かります。


わたしが思うに、
分六の近所によい家があるので、
そこを借家し、筵でも敷いて暮らしたらどうかと思います。
茶碗のようなものも一つ一つもってきて暮らすのです。
あなたが帰ってきた後を考えると、
たとえ家賃が必要でもその方がいいと思うのですが、
あなたはなかなか納得してくれません。
火事で家をなくした人で、
随分いいと思う所に落ち着いた人は、
みんな貸屋を借りています。
あなたのために
こちらに戻ってくるまでに
少しでも家をどうするのかについて企てをしておきたいのです。
とにかく毎日あなたがお帰りになることだけを待っています。


義伯の妻からはとりあえずのすまいを
借家でしのぐ提案がされていますが、
費用的な面からかこれは実現しなかったようです。
火事により三浦家は家計面でもかなり追い込まれていました。