では、今日も江戸武士のすまいについて、
わたしたちが研究している宇和島藩士の三浦家の事例から紹介します。
以下は宇和島にいる4代当主義伯(隠居)が
江戸に滞在中の5代当主義陳にあてた寛延3年6月3日付の手紙です。


当年は喜内(義陳の弟)が心がけよく修理したせいか、
なすびやいも、
そしてその縁には花壇を設けていろいろな花が咲いています。
夏菊がただいま花盛り。
その他にもいろいろな花が咲いています。
なすびは私の方では一昨日はじめて収穫しました。
お幸(義陳の妻)の方は今朝初めて収穫した模様。
人参などもよく育って、あなたがこちらいた時よりも、
当年はよくできているように思います。


これは武家屋敷の敷地内にあった菜園についての記述。
この当時三浦家は70石の知行。
別の文書では借金なども記されており、生活に苦慮していたようです。
だから武家屋敷の敷地には菜園が設けられ、
日常の野菜などはそこでつくっていた様子がうかがえます。
夏菊などの花も植えていて、
昨日の山川菊栄が記した水戸藩のように殺風景な感じはしません。
またの機会に書いてみたいと思いますが、
江戸武士は意外にも園芸好きが多かったようです。