もう一つの下級武士の食日記

一の重です。
今日は仕事おさめの日ですが、
これから松山市に出張。
肉体労働が待っています。


相変わらず、
幕末単身赴任 下級武士の食日記を少しずつ読み進めています。
一つの本を読み出すと、
その本から少ない脳味噌が刺激されて、
それに関連する別の本が読みたくなります。
そんなこんなで、
たった1冊の本なのになかなか読み終わりません。


今回は、この本を読んでいる途中に、
もう一つ下級武士の食生活をテーマにした論文を思い出しました。
それが、原田信男氏の「下級武士の食事記録」です。
この論文は確か数年前に刊行された単行本に収録されていたはずと、
本棚を探してみると、ちゃんと出てきました。
その名もずばり、江戸の食生活


江戸の食生活

江戸の食生活

刊行と同時に購入して、いくつかの部分は拾い読みしていましたが、
この論文はまだちゃんと読んでいませんでした。
原田信男氏は食生活史研究の第一人者。
手軽に読める本としては、
木の実とハンバーガー―日本の食生活史の試み
歴史のなかの米と肉―食物と天皇・差別
などがあります。

さて、「下級武士の食事記録」ですが、
これは武蔵国忍藩の下級武士尾崎隼之助貞幹が書いた
『石城日記』をもとに、
酒井伴四郎とほど同時期の文久元〜2年頃の食事の様相を紹介したもの。
石城は号で、画人でもあったためこの日記は絵日記になっていて、
家族がそれぞれの膳で食べている様子も描かれています。
石城は100石取りでしたが、藩に上書して処分され、
この頃は10人扶持に格下げ中。
酒を飲んで荒れつつも、
日記では淡々と日常の暮らしを書きつづっているようです。
食事もこまめに記録しており、
それが論文では表にまとめられています。
表からは苦しい経済状態のなか、
日々の食事は質素でありながら、
酒宴の際には海魚の刺身をはじめ煮物、鍋物までならび、
ハレの日の食事と日常の食事とに大きな差があったことが分かるそうです。
その傾向は酒井伴四郎の場合もほぼ同じように思えます。


表をみていくと、
日常の朝の食事によく「ねき汁」と出てくることに気づきました。
「ねき汁」については、
私が調べている宇和島藩士の三浦家文書にも
同じようなものが記されています。
それは次のようなものです。


三人の家来も元気で勤めています。
そのうち、兼吉は相変わらずすべてについて心がけがよく、
朝は6時頃から起きだして、こたつの火をおこし、
毎朝わたしにねぎ雑炊をつくってくれるので、
なんとか寒さをしのいでいます。
天保7年12月5日付書簡)


これは江戸の三浦義信が宇和島の妻久美にあてた書簡ですが、
「ねき汁」と「ねきそふすい(雑炊)」、
よく似ています。
いずれも寒い朝の手軽な食事メニューだったのでしょうか。