殿様の道中日記

昨日は、ある団体のボランティアとして、
西予市野村町の鎌田地区に行きました。
鎌田は「かまんた」と呼び、
宇和川流域に位置し、北は高雄山の山並みに面した山間地域。
平野部では解けている雪もまだかなり残っていました。
鎌田には旧貝吹村役場の建物がまだそのままあり、
少し驚きました。

貝吹村は鎌田も属していた明治22年からの行政村で、
昭和30年に大半は野村町、
一部は肱川村と合併することで姿を消しました。
旧村役場の建物は、乙亥相撲で知られる野村町にふさわしく、
室内相撲場になっていました。
役場の前に今ではほとんど見ることがない、
旧式の公衆電話ボックスがあるのも、
なんともいえない味わいがあるように思えます。


ところで、
昨日は徳島市徳島城博物館の
「大名の旅−徳島藩参勤交代の社会史−」
の展示を少し紹介しました。
江戸時代、東海道のいろいろな名物の食べ物が
食品サンプルになって展示されていた面白かったと。
実はこの展示には、もう一つ興味深い資料がありました。
それが殿様の道中日記「参勤・帰国旅中日記」です。
この道中日記は、徳島藩12代藩主蜂須賀斉昌が書き残したもので、
文化11年(1814)から天保12年(1841)まで、
なんと55冊もありました。
これほどまで揃った殿様の道中日記を見るのは初めてです。


詳しい内容はそのうち徳島城博物館が紹介されることと思いますが、
面白かったのは殿様も庶民と同様に
道中のいろいろな名物を食しているということ。
図録に資料翻刻が掲載されている文化11年の道中日記をみると、
例えば、
「生麦のあなごよし」
「岩淵の栗の粉もち殊之外わるし」
「倉沢之鮑いつもより餘程よし」
などの記述がみえます。


このうち、岩淵名物の栗粉もちは、
餅に栗の粉をかけてものとされていましたが、、
実際には黄粉をかけただけのものだったとのこと。
前日紹介した食品サンプルにもありましたが、
素朴すぎたのか、殿様の口にはあわなかったようです。