越智の随筆「ねさめのよまい」6

大洲領伊予郡郡中灘町出身の蘭方医、越智が書いた随筆「ねさめのよまい」には、たくさんの医者が登場することは以前に記した。有名な人物が多いが、無名な医者の横顔を伝える記述も捨てがたいものがある。そんな一人、肥前武雄の医者清水玄沢について紹介する。

私が長崎にいた時、肥前武雄の医師、清水草庵(宗庵)という者が来て、西洋医書を学びたいといわれた。私もまだ未熟ではあったが、請われるに任せて教えていたが、故あって故郷に帰るので、武雄温泉に入湯したりして遊んでいかないかと誘われて武雄に行ってみた。草庵の父親、玄沢なるものは、年は70才余り。あるいは80才に手がかかろうという人であった。とても元気な老人で、眼鏡も使わずに燈火で書を読んでいる姿を見ると、壮年のようである。ただ、やにが出るのが困ると言っていた。若い頃には西惟中について古方医を学んだとのこと。その時、学資が尽きたため、秘蔵していた狩野探幽の掛け軸を売り払って遊学を続けたそうである。その日常の様子を見るに、門人が数人いるものの、薬の調合は自分で行っている。薬を使いに渡すにも自分で渡さなければ気が済まないそうである。病人が薬を飲んで、日が経っても消息が聞こえてこないと、必ず門人をその家に遣わして病状を尋ねている。病人が来たら寝食を忘れ、朝飯なども忘れてしまうことが多いという。このような質朴純志な医者は、現在ではめったにいないと思うと、小石玄瑞翁に話したところ、玄瑞翁は感服して、医者はこのようにありたいとも、都会ではもうこのような医者はいないと歎息したことである。


一地方の長年にわたり地域に密着した医療を展開していた老開業医の姿が見事に描かれた一文。なお、清水玄沢の子ども、清水宗庵については、「ねさめのよまい」を翻刻した土井康弘氏の「佐賀藩武雄領医師群の西洋兵学研究への寄与−清水宗庵を中心として−」(『洋学』9号、2000年)がある。機会があれば読んでみたい。