大洲藩医鎌田家の新史料

待ちわびていた東京古典会の『古典籍展観大入札会目録』が届いた。なぜ待っていたかというと、先に送られてきていた注目出品物の小冊子に、「杉田玄白他書状貼交幅」とあり、それが鎌田玄台他宛と記されていたから。鎌田玄台といっても、ほとんどの人は知らないと思うが、江戸時代後期の地元では有名な蘭方医なのである。

写真を見ると、11通の書状が貼り交ぜになって、掛け軸に仕立てられていることがわかる。そのうち鎌田家に関係したものを抜いてみると、以下の5通になる。

1 3月17日 杉田玄白書状 鎌田玄台宛
2 鶉月晦 華岡随賢書状 鎌田玄台宛
3 仲春10日 広瀬求馬書状 鎌田玄閑宛
4 晩夏念二 近藤高太郎書状 鎌田玄閑宛
5 12月14日 某氏書状 鎌田宛
 
1は言わずと知れた『解体新書』の和訳刊行した杉田玄白。2も有名人、 世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた華岡青洲、3は豊後日田の咸宜園で儒学を教えた広瀬淡窓、4は伊予小松藩儒で伊予聖人といわれた近藤篤山。当時の錚々たる文化人と大洲藩医鎌田家との交流がうかがえる書状ばかりである。

内容はと言いたいところだが、写真で1通の大きさが縦1.5センチ、横5〜6センチ程度しかないので、とても読めません(泣)。でも4倍ルーペで根性読みしてみると、4の書状には「長崎遊学」の文字が見えます。近藤篤山の門人で初め玄閑を名乗っていたのは、玄台新澄(1825〜1897)であるが、新澄が長崎に遊学していたという情報はこれまでに発見されていない。5の書状もよく分からないが、「外科起癈」の文字がある。「外科起癈」は杉田玄白華岡青洲の門人である玄台正澄(1794〜1854)が行った外科手術の症例を集めた書籍で、正澄の養子新澄が校訂している。当時ほとんど行われていなかった「陰狐疝」(陰嚢ヘルニア)の手術も収められている。あるいはこの「外科起癈」の刊行をめぐる書状であろうか。

この史料を買えるほど裕福でもないし、東京で実物を下見するお金もなし。4倍ルーペ片手に読めそうで読めない文字を追うのみ。