大名屋敷の食事

このブログでも何度か三浦家文書から宇和島藩士の江戸屋敷での食事を紹介したが、記録からは特別な日(ハレの日)の食事は浮かび上がるが、日常の食事知ることはなかなか難しい。そんななか、9月21日の読売新聞に発掘成果による大名屋敷の食事の様相が紹介されていた。

内容は会津藩下屋敷(東京都港区)のゴミ穴に残っていた貝や魚骨を分析したもので、阿部常樹氏(国学院大共同研究員)の研究成果による。阿部氏によると、これまでの調査では目視による直接採集が多かったため、タイやヒラメなどの大きな骨だけをついつい拾ってしまい、小さい魚の骨は見逃されてきたとのこと。今回、ゴミ穴にあったものを、5ミリ、3ミリ、1ミリの3種類のふるいにかけて水洗いして、魚の骨383点を確認したそうだ。大変ご苦労な作業である。

その結果、会津藩下屋敷で食されていたのが、71パーセント近くがアジやイワシの下魚で、タイ、ヒラメ、カレイの上魚は24パーセント、その他ホウボウ、ボラなどの中魚が2.6パーセントであるというデータが提示された。さらにアジを詳しく調べると、マアジよりも味が劣る「くさや」などに使われるムロアジが多く、安価で保存もきく干物がかなり含まれていた可能性が指摘された。

江戸屋敷とはいえ、多くは勤番武士やその下僕が住んでいたわけだから、妥当な分析と思われる。下屋敷だから、なおさらその傾向が強くでているのかも。むしろ毎日タイやヒラメの刺身で豪勢に酒盛りしていたと考える方が、おかしな気がする。日頃つつましく、外出時に料理屋でちょっとぜいたくというのが勤番武士の食事の一般的な在り方ではなかろうか。