民都大阪の建築力

大阪出張の最終日。思っていた以上に早く仕事が終わったので、大阪歴史博物館の特別展「民都大阪の建築力」を観に行く。久しぶりで時間があるので、共通券を買ってまず常設展から。それにしても巨大。常設展みてもみても終わらず、次第に腰が痛くなる。映像装置、数々の模型、それに実物展示を組み合わせていて、歴史系博物館としては国立歴史民俗博物館の展示手法にならった典型的な展示。部分部分は面白いものがありながらも、振り返ってみると印象がうすい。展示の解説板が手でさわられるため、かすれてきて読めないところが増えている。開館10年経ったから仕方がないのかもしれないが、なんだかなあ。

一方、特別展「民都大阪の建築力」は、学芸員の研究成果がつまったしっかりした展示。現存する建物、失われた建物を含めて、これでもかこれでもかと次々登場するモダンな建築の数々に、近代大阪のパワーを感じる。これらの建物を観るだけで、大阪が文化都市としても一流であることがわかる。政治的には現在どたばたしてるけど、大阪の人は大阪の街自体にもっと誇りをもっていいと思う。展示資料の中では、大正2(1913)年に着工、同7年にオープンした大阪市中央公会堂について、懸賞付きコンペに応募した建築家の設計図が一堂に展示されているのが面白かった。最終的には当時若手の建築家であった岡田信一郎案が採用されているが、当時の錚々たる建築家13名が設計を競いあっている。岡田案以外にも力作が多く、選りすぐりの建築家による夢の競演といったおもむき。その他、現在復元されている大阪城天守閣の設計図も展示されていたが、その設計をした古川重春が、愛媛県西予市三瓶町出身であることは知らなかったなあ。調べてみると、平成20年2月の伊予史談で、天野奈緒也氏による「古川重春と大阪城天守閣築造」という報告があったらしいが、残念ながら活字化されていないようだ。その他、通天閣の展示もあったが、初代通天閣の建設に深く関わった宇和島出身で大阪商工会議所会頭であった土居通夫は登場しなかった。

最後にミュージアムショップにまわり、展覧会の図録をチェック。充実した内容の図録で、買おうかとも思ったが、既に買った本でカバンが重くて断念。