宮本常一は終わらない

今日の朝日新聞朝刊の文化面に、
宮代栄一記者による「宮本常一は終わらない」の記事が掲載されていました。
内容は去年の宮本常一生誕百年をきっかけに、
空前の「宮本ブーム」が起きているというもの。
宮本は膨大な著作を残していますが、
最近はその著作だけではなく、
宮本が撮影した10万枚の写真に注目が集まっています。
宮本の写真は現在、
宮本の故郷山口県周防大島に設立された周防大島文化交流センターが収蔵しており、
データベースとして公開されています。
近年は東京都府中、山口県萩などで、
宮本の写真を活用した博物館の展覧会も開かれたほか、
今年は「東京写真月間2008」で、
銀座ニホンサロンで「宮本常一が歩いた日本」という写真展も開かれた模様。
また、みずのわ出版からは、
宮本常一写真図録』の刊行も始まり、
宮本の写真を掘り下げるシリーズものとして、
これからあと数冊は刊行されそうです。
記事はそうした動きを万遍なく整理しているものの、
同じような記事は100周年の去年も見たような気がして、
少し物足りない感じがしました。


確かに宮本常一という人間は魅力的なので、
その人物に入れ込みたいという気持ちも分かるのですが、
そこから離れて、
宮本が提示した視点を活かしたり、
深めたりする作業もあってよいのではないかと思えてきます。


今、久しぶりに忘れられた日本人

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

をぱらぱらめくっています。
その中に「世間師」という項目があります。
宮本の故郷周防大島は、江戸時代後期に人口が増えたところで、
大工、木挽、石工、水夫、浜子などの出稼ぎ労働が盛んになったところです。
出稼ぎなどで旅をした人間は、
様々な経験を積んで世間のことをよく知っており、
そうした知識によって村人の相談相手になったり、頼られたりする存在。
そうした人物を宮本の故郷あたりでは、世間師(ショケンシ)と呼んでいたようです。
先般芸予諸島の古文書を調査しましたが、
その中で世間師としか思えない親子を発見しました。
芸予諸島周防大島も含まれる防予諸島と同じく、
出稼ぎ労働が盛んだった地域で、
古文書を見ていると、出稼ぎを届け出る書類が次々に出てきます。
その親子も出稼ぎに明け暮れる人物ですが、
そのうちの子どもが二人の一代記を記録として書き残したことで、
近世後期から幕末にかけての世間師の姿が見えてきました。
宮本の生彩に富む聞き取りに比べると見劣りするかもしれませんが、
江戸時代の世間師が自ら書き残した資料はほとんど残っていません。
しばらくこの二人と付き合いながら、
どこかに文章をまとめてみたいと思っています。