奥山弘平墓碑

宇和島藩士の家に生まれ、近江を地盤に活動し、
綾部藩、盛岡藩儒学者、農業巧者としての人生を送った
奥山弘平について、以前2回にわたり紹介しましたが、
先日愛媛県立図書館で資料を見ていたところ、
奥山の墓碑を筆写したものが
「伊予人物伝資料」(伊予史談会文庫)に見つかりましたので、
記録として記しておきます。


  鳳鳴奥山先生之墓
諱操字在中号鳳鳴称弘平奥山氏豫州宇和島産而
江州八幡住以儒為業天保己亥九月十九日没享年
四十七法謚曰本然需明居士


新しい情報はあまりありませんが、
墓碑では近江八幡に居住していたことになっています。
宇和島藩の「家中由緒書」では近江大塚村、
『伊豫の山水と人物と事業』では彦根
そして墓碑では近江八幡と、奥山には近江の地名が複数でてきますが、
実際彼が近江でどんな生活をしていたのか知りたいところです。
奥山の墓碑は『伊豫の山水と人物と事業』にも記されていたように、
「此墓芝公園紅葉館前金地院」にあると記されています。
ちなみに、紅葉館は明治14年に芝の紅葉山に開業した純和風の高級サロンで、
尾崎紅葉ペンネームの由来となったところ。
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-detail.cgi?id=16
その紅葉館の前にあった金地院の奥山の墓碑は現存するのでしょうか。