三浦義陳の外出6

寛延3年、江戸暮らしする宇和島藩士三浦義陳の外出について。
今回は10月の2回と11月の1回の合計3回分を紹介。
12月は宇和島藩主伊達村候の婚礼があり忙しかったせいか、
外出は記録されていない。


10月16日
西川弥五郎と同道で神明前に行く。
例のところに行き、酒を呑む。
(一部判読不明箇所あり)


10月19日
駿河町の大店越後屋の恵美須講に、
斎藤又左衛門に誘われて行く。


なお、この時の様子は以前に記した。
http://d.hatena.ne.jp/rekisinojyubako/20070105


11月7日
非番。
西川弥五郎と一緒に五つ(午前8時)過ぎに外出する。
湯島天神神田明神、聖堂に初めて行く。
一石橋の際で一石餅という名物の餅で、小豆を煮たものを食べて暮れに帰る。
桧垣弥三郎に頼んで、烏石の手本石摺を160文で購入する。
その他、一石餅と蜜柑を購入して帰る。


一石橋は江戸城の外濠が日本橋川と分岐する地点に江戸初期からあった木橋
この橋の北橋詰に幕府の金座御用の後藤家、南橋詰に御用呉服商の後藤家があったので、
後藤を「五斗」とかけて、その両方を合わせて 「一石」になったといわれる。
日本橋の繁華街の中にあったため、迷子を知らせる石標が建立されており、
現在も遺っている。
この一石橋の付近には一石餅という名物があったらしく、
義陳らはそれを食して、お土産にも買って帰っている。
それから桧垣弥三郎に烏石の手本石摺を頼んで購入したとあるが
この烏石とは松下烏石のこと。
江戸の人で、儒学服部南郭、書を佐々木文山に学んだ。
後に細井広沢の門に入り、能書家として知られた。
江戸や京都には烏石が記した石碑が残るほか、石摺の手本も多く刊行されている。