三浦義陳の江戸暮らし7

12月1日には、
奥表合同で御書院において通しの稽古、
つまりは全体リハーサルが行われる予定で、
御小姓頭から触れがあり八ツ時(午後2時)から御殿に参集したが、
突如の来客があったためこの日のリハーサルは中止になっている。
12月2日は奥表合同で御宮仕の稽古。
その様子は藩主村候、その弟伊織も御覧になっている。
義陳は婚礼時の御宮仕も仰せ付けられたので、
その時に着るものとして花色幸菱小紋上下一具が支給されている。
12月3日も奥表合同で御宮仕の稽古。
この日義陳は寝番だったので、
稽古の後にすぐ寝番に廻るという忙しさである。
12月4日は朝五ツ半(午前9時)に奥表ともに集合して、
全体のリハーサルを九ツ半(午後1時)まで行っている。
12月5日には、婚礼当日いらっしゃる御客様に対して、
四人の御案内の使者が立てられ、義陳も以下の6ケ所を廻っている。
井伊備中守様(井伊直藿、近江彦根藩主井伊直惟の子供)
堀川兵部太輔様(堀川広益、御側高家)
堀川修理様(堀川広益子供)
松平伊豆守様(遠江浜松藩主松平信復)
松平河内守様(松平定邦、陸奥白河藩主松平定賢子供)
柳生備前守様(大和柳生藩主柳生俊峯)
この日は朝六半時に藩邸を出て、八ツ時(午後2時)に戻っている。
12月6日は婚礼前日である。
この日は義陳は受取番・寝番であった。
夕方、御白砂において、
御門から御寄付御門内までの御入輿の際の稽古が行われた。
御目付から井関作十郎と義陳も稽古に出るように言ってきたので、
二人とも稽古に加わっている。
このように稽古を重ねてついに婚礼当日を迎える。