ところで、
先日森茉莉の「父の帽子」から、川蒸気の記述をひろいました。
この川蒸気については、
坂崎重盛さんの東京本遊覧によると、

東京本遊覧記

東京本遊覧記

東京公文書館編『近代東京の渡船と一銭蒸気』という
面白そうな本が刊行されているようです。
それはさておき、
以前引用した森茉莉の文章は次のように続きます。


少し経つとゴツゴツした地味な着物に、
同じような羽織を着た男が、何処からか起き上つて来て通路に立ち、
いろいろな本を代り代りに包みから出してはパタパタと、
手で敲いたり、二三冊一緒にして、
扇のやうに重ねて高く差しあげたりしながら、
うるさい声で説明をし始めた。
「えゝ」「えゝ」と、間々に挟みながら、
二冊で何銭、三冊で何銭と重ねてゆき、
十冊位重ねてからポンポンとはたいた。
あとからあとから出して来る手品のような手つきや、
早口な口上を、私はいつも見て居た。
岩見重太郎狒々退治、塚原卜伝の鍋蓋試合ひ、
又は日本海海戦の何々といふやうな本の名を、
勇ましさうに声を張りあげて言つたりする。
男は散々怒鳴つたり敲いたりすると、
本を片づけ、外へ出て行つた。


川蒸気には行商人が乗って商売していたようです。
それも本屋さん。
昔、銀座の屋台なんかで本を売っていたのは知っていましたが、
船の上で本を売っていたなんて初めて知りました。


また、川蒸気は、
森茉莉と同じく偉大な父親をもつ
作家幸田文の文章にも登場するようです。
金井景子編、幸田文ふるさと隅田川 がそれですが、

ふるさと隅田川 (ちくま文庫)

ふるさと隅田川 (ちくま文庫)

この本、残念ながらもっていないので、
川本三郎さんの あのエッセイこの随筆
あのエッセイこの随筆

あのエッセイこの随筆

の紹介文から引用すると次のとおり。


「一銭蒸汽」と呼ばれていた
隅田川名物の蒸汽船の思い出が面白い。
この船には「まいど船内屋」が乗っていて客を楽しませてくれていた。
「まいど船内をお騒がせいたしまする」
といって船内で物を売り歩いていた行商人である。
紙風船、名書絵はがき、羽子板、かんざし、月おくれの雑誌
などさまざまなものを売っていたという。
隅田川はこんな人たちの生活も支えていたわけだ。


森茉莉が書いた本屋さんとは、
あるいは月おくれの雑誌を商う人だったのかもしれません。
川蒸気の行商人を描いた
二人の文章は奇しくも似た雰囲気をただよわせています。
二人の視線がどこかで交わっているというか…。
ちなみに、
森茉莉は明治36年(1903)生まれ、
幸田文は明治37年(1904)生まれとほぼ同世代。
二人は隅田川で同じような風景をみていたということになります。