獅子文六ちんちん電車 (河出文庫)さらに読み進める。
都電に乗ってみて、
文六先生が違和感をもったのは、
停留所の名前が変わっていること。
もちろんそれは行政により
地名が変更されたために起こったことです。
例えば次のように記しています。


その神田も、末広町あたりで終わって、
台東区に入るのだが、
この区名は、いつまで経っても、耳に馴染まない。
これに反し、黒門町の名は、懐かしいのだが、
そこの停留所名が近く上野一丁目と改称されるそうである。
どうして東京人−日本人は、こんなに改称が好きなのであろう。
女中をお手伝いさんと呼変えたところで、
何の意味があるのか。


今度の市町村合併による新しい市町村名を見ても、
同じようなことがいえそうです。
文六先生は、
地名にこだわりこの本のなかで、
現在馴染みがなくなったものも含めて
たくさんの地名を書き記しています。
東禅寺、庚申堂、泉岳寺、伊皿子、札の辻、薩摩原、芝浦、宇田川町、露口町、日蔭町、出雲町、尾張町
いずれも風情、歴史を感じさせる名前です。
現在東京に住んでいる人のどれぐらいが、
これらの地名がどのあたりにあったのか、知っているのでしょうか。
そういえば、
現在同時平行で読んでいる
小針針男、川本三郎 追憶の東京 下町、銀座篇 にも、
タクシーに乗って、銀座尾張町までと言って、
首をかしげられたという話しが記されていました。
それぞれの個性豊かな町は、昭和30〜40年代の
○○何丁目という記号のような地名への変更のなかで、
どこも同じ金太郎飴のような
画一的な町へと変わっていったようにも思えます。