窪島誠一郎さんの「明大前物語」を読了。

「明大前」物語

「明大前」物語

窪島さんの本は以前に父への手紙を読みました。
父への手紙

父への手紙

ふとしたことから、
自分の親が別にいることを知った
著者が真実を隠す養父母と確執しながら、
親をさがしつづけ、
ついにさがしあてた親が作家の水上勉さんだったというもの。
真実を何とかしようと隠す
養父母との確執の中で、
養父母のことがかなり厳しい目で描かれているのが、
致し方ないこととはいえ、
胸に残りました。


今回の明大前物語は、
あの続きを書いてみませんかという編集者の誘いに対して、
明大前への手紙ならということで、
書き始めたものだそうです。
戦後一面焼け野原の明大前に養父母と帰ってきてから、
水上勉さんと再会する昭和52年頃までの、
前の本とほぼ時期としては重なりつつも、
明大前と自分との関わりが丹念に描き込まれています。
明大前を流れる玉川上水路に
土左衛門(溺死体)がよくあがったことや、
大人気だった「君の名は」の映画ロケが行われた時の様子、
駅前広場の街頭テレビなど、
明大前の時代の記憶が本の中に刻み込まれています。
なかでも面白かったのが東京オリンピックの記述。
甲州街道はマラソンコースとなり、
スナック「塔」を開店していた窪島さんは
当日沿道の見物人目当てにオニギリを徹夜でこしらえ、
売りまくったとのこと。
このオリンピックを境に明大前の町の姿も大きく変貌していきます。


実は明大前には約二十年前に何度も行ったことがあります。
学生相手の麻雀屋さんなんかがまだ残っていて、
いかにも学生街の、そしてあかぬけない町でした。
肉屋さんの二階が定食屋さんになっていて、
そこの定食のコロッケもよく食べました。
窪島さんが描いた明大前の雰囲気は、
まだそこはかとなく残っていましたが、
それからもきっと随分変わっていったのでしょう。
最後に窪島さんは最近になって、
亡くなった養父母の茂とハツの夢をよくみることを書いています。
その夢は必ず昔の明大前が舞台で、
その頃の明大前の風景が、
生き生きと私の心の奥によみがえり、
まるで今も自分がそこに生きている錯覚におちいるのである
と記しています。
前の本と養父母の描き方がかなり違った印象を与えるのは、
それだけの歳月がさらに流れたからなのでしょうか。
過去に明大前という一つの町との濃密な時間をもてた、
窪島さんはそれだけでも幸せなのかもしれないと思いました。