宇和島藩士三浦義信は、
幕臣本草家岩崎常正(号灌園)が著し、
文政元年に出版された草木育種という書物を参考に
いろいろな園芸植物を育てていたことを以前に記しました。
この草木育種、三浦家文書のどこかで見たことがあったような。
調べてみると、三浦義信の職務日記である
「勤書日記書抜」の文政13年3月29日にその記述がありました。
この時義信は大屋形様付き、
つまりは6代藩主で既に隠居した伊達村寿の側で
いろいろ世話をする仕事をしていました。


大屋形様が私に筆写するようにお命じになった
草木育ぐさができあがったので、
差し上げたところよく調った筆で満足との直書をいただきました。
この日は泊まり番で御休息に召され、
大屋形様からは
気にいった本の筆写を命じたところ、
非常によくできていて満足しているとお言葉があった。
そして、この本を大屋形様の前で読み、
それが済むと、御盃とともにお吸物、お肴も数々頂戴しました。
その上、この筆写がとてもよくできているので、
御用に立つように表紙など付けることもお命じになりました。
大屋形様は大層お喜びで、
楽焼の茶碗二つと楽焼の香合一つ拝領しました。


このように草木育種は義信にとって大屋形様との思い出の本、
つまりは特別な本でした。
義信が園芸植物と向かいあう時、
いつもその背後に村寿の姿を感じていたものと思われます。