こんな不幸な一日の最後。
宇和島藩士三浦家の日記をひもとく。
享和元年の日記より。
日記は4月1日から始まるが、
7代当主義信と長男肇は大坂の地にいます。
理由は分かりません。


4月1日、天気よし。
今日は目出度く朝六ツ時(午前6時頃)、
和霊様に参詣する。
(和霊様は宇和島藩の大坂屋敷に勧請されていたのか?)
六ツ半(午前7時)過ぎに二宮新左衛門から、
立身祝儀として赤飯一重をもらう。
六ツ半(午前7時)に壱岐の家内と松江のおふくろさんが
有馬温泉に向けて出発する。
四ツ時(午前10時)過ぎ三井に行き、
高麗橋通りの三井呉服店カ?)
長堀へ出て四ツ橋に行き、きせる四本を買う。
九ツ(正午)前に阿弥陀池に行き、
芝居をあきらめた文七、三五郎という元役者が、
黒谷(青龍寺)の出家となって今度阿弥陀池に来ていて、
誰々へ改名を付けてもらいたらいとたくさんの人が押し寄せている。
すごい大混雑になっている。
また、阿弥陀池では猿芝居をやっている。
親子連れが見物している。
絵図を猿が売り歩いている。
銭をもらうまでは手をついて待っている。
八ツ時(午後2時)過ぎに帰る。
それから休息。
夜、杉山(宇和島藩大坂目付)のもとに行き、
素麺を馳走になる。
四ツ(午後十時)過ぎに帰る。
おまさが饅頭を十五個くれた。


義信の大坂での充実した一日が記されています。
四ツ橋の名物はキセル
土産などに買い求める人は多かった模様。
阿弥陀池和光寺は、
境内で開帳があったり、見世物が行われたりしていたところ。
お寺といいながら、大坂の娯楽センターの一つ。
大流行の改名を付ける出家に猿芝居。
なんともあやしげな空間です。
絵図を売り、お金をもらうまで手をついて待つ猿は、
もしかして反省ザル、ジロウくんの先祖でしょうか。