今日は久々に宇和島藩士の三浦家の話し。
以前7回にわたり
寛延4年2月1日の夜の宇和島大火で、
家が焼けてしまった三浦家の
その後の苦闘について記しました。
その後三浦家は見事に立ち直りますが、
再び不幸が三浦家を襲います。
明和7年12月15日の火事です。
この火事の様子は以前三浦家文書研究会のHPで紹介しました。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/6700/column29.html


火事当時、当主の三浦義陳は船奉行を勤めており、
三浦家は宇和島の屋敷から離れて役宅に住んでいました。
家財道具はほとんど役宅に置いていたため焼けなかったものの、
再び屋敷は全焼します。
そして、間のわるいことに、
体調を崩していた義陳は船奉行を辞める手続き中で、
そうなると船奉行の役宅を離れなければなりません。
前回の火事の時は義陳も30代後半でしたが、
今回は60才になろうとしています。
老齢の肩に負担がのしかかります。