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再び、
サトウハチローの僕の東京地図より。
- 作者: サトウハチロー
- 出版社/メーカー: ネット武蔵野
- 発売日: 2005/08/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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−日本一のかたぱん、トゲヌキ地蔵尊土産−
という看板が見えた。
店の名はホンマベーカリーだ。
お地蔵様は、かたぱんが好きなんていうのは、
初耳だが、
日本一と聞いちゃ買わずばなるまい。
買ってみてなるほど大きいのにはおどろいた。
長さが一尺、幅が六寸。
石黒敬七六段にそっくりなかたぱんだ
(石黒さんよ、こう書いたからッて、
今度逢った時に空気投げは、平にごかんべん)。
眼鏡をとった石黒六段だと思えば、
間違いはない。
二ケ所に地蔵様の烙印(やきいん)みたいなものが押してある。
石黒敬七六段にそっくりなかたぱん
といわれてもよく分かりませんが、
かたぱんとは乾パンのこと。
今では災害に備えた非常食といった感じですが、
それが昭和初期には
トゲヌキ地蔵参詣の普通の土産として売られていたことになります。
ところで、
乾パンは当時軍隊の携帯食、保存食として使われていました。
この文章を読んで、
知人が資料紹介した日露戦争の記録に
乾パンが出ていたことを思い出しました。
その記録は香川県善通寺市に置かれていた
第十一師団野戦砲兵第十一連隊に関するもの。
そのなかに日本軍では当時脚気が流行していたため、
それを防ぐために
麦飯が奨励されるとともに、
昼飯には重焼麺麭が用いられたと記されているそうです。
重焼麺麭というとなじみがない食べ物に見えますが、
これは乾パンのこと。
詳しくは帝国陸軍伝統の非常食に詳しく記されています。
http://phototec.hp.infoseek.co.jp/kanpan2.htm
さて、
昨年香川に行った時のこと、
善通寺で乾パンをつくって売っている店を偶々見つけました。
善通寺仁王門近くにある熊岡菓子店です。
なんともレトロなたたずまいで、
創業明治29年の老舗。
ここはなんと第十一師団に乾パンをつくっていたとのこと。
日露戦争で第十一師団が食した重焼麺麭は
まさにここでつくられたものでした。
現在はその名もトゲヌキ地蔵と同じカタパンと呼ばれ、
ころんとした一口大の石パン、四角い角パンなど
5種類のものが売られているそうです。
http://www.jalan.net/kanko/SPT_164753.html