昨日買った
井手孫六・石埜正一郎編 山里の四季をうたう―信州・1937年の子どもたち
を読んでいます。
この本は昭和12年頃、
信州の山里の小学校で、
ひとりの代用教員の指導で小学生たちが
楽しく書いた250編余りの詩を紹介したもの。
幼い詩人たちは
長野県諏訪郡本郷村立本郷尋常小学校三年一部(組)の生徒諸君。
代用教員は県立諏訪中学校を卒業したばかりのお兄さん先生こと、
石埜正一郎先生。


本を開くと、
雄大な八ケ岳をバックに
赤い屋根の木造校舎が写った写真が目につきます。
大自然に抱かれたというのは
こういう場所をいうのかなと思います。
大自然が広がる小学校の中で
石埜先生は子どもたちにこう語りかけます。


君たちはしあわせだ。
天も地もみんな君たちのためにある。
青い山があるだろう。
かじかのいる川があるだろう。
もろこしがカサカサゆれているだろう。
花も、稲も、草も、匂っているだろう。
うまいすぐりや、じなしや、桃。
あぶ、せみ、ちょうちょう、それから鳥や兎。
大きな入道雲、おっかないあのいな光り。
みんな君たちのものだ。
(「茶色の仔馬」序文)


教卓にはいつも四ツに切ったワラ半紙が置いてあり、
子どもたちは競ってそのワラ半紙を取り、
自由に詩を書き付けていったそうです。
先生はそれを授業で取り上げてほめつづける。
そして、子どもは次々に詩を書き上げていく。
素朴な作文の断片にはじまったものが、
一つの作品へと昇華していきます。
例えば初期の詩に次のようなものがあります。


山へくさかりに行く
       三井竹平
きょう山へ行った。
うんそうにのって行った。
いろいろの、
つっかかるようの物が
あったから、
らくのこともなく、
おちそうだったけれども、
かえりにはまたのって、
かえりの方がらくだし、
じなしや、
いたんどりをくって、
もうけた。
山にいるうちは
うちへかえりたかったが、
うちへかえったら
また、山へ行きたくなった。


どうです?
まわりの自然や当時の暮らしぶりが
すんなりと頭の中に入ってきます。
自然をなくし、生活をなくし、
勉強に追われる現在の子どもには
なかなかこういう詩は詠めないのではないでしょうか。
この本、岩波ジュニア新書ですが、
子どもだけでなく、大人にとっても読み甲斐があります。